父と同じように
困っている飲食業の人の
力になりたい。
「自分のレールは自分で引け」。幼い頃から父にそう言われて育った私は、自然といつかは起業して自分で会社を営んでいくと決めていました。学生時代、サッカーに熱中したのも、主体的に自由に動けるスポーツだったからというのが大きいかもしれません。いつも輪の中心に立って、自分がリーダーだという自覚を持って取り組んでいました。
大学卒業後、経営コンサルティング会社に入社すると、ITエンジニアとしてのキャリアを築くことになります。非常にエキサイティングな環境で満足していましたが、ともすればそのまま会社に居続けることになりそうだとも感じ、30歳を節目に、いよいよ覚悟を決めて独立を決意します。
ところが、起業するということだけが決まっていて、何か具体的なアイディアがあるわけではありません。培ってきた「テクノロジー」の力を活かしながら、どんな分野で社会に貢献していけばよいか。‥‥と言うと綺麗に聞こえますが、どうやったら食べていけるのか、面白いことをやってると思われたい、というのが当時のホンネでもありました。とにかく、一年ほどビジネスの構想を考えていて思い出したのが、横浜でホテルやレストランに野菜を配送する卸業を営んでいた、父の言葉でした。
「新規の取引先になる飲食店へ営業したいけれど、新しくオープンする店を探すのが難しい」。一般的に、飲食店に営業をかけやすく、関係性を築きやすいのは「出店」のタイミング。けれど、卸業をはじめとする、飲食に携わる人間たちがその情報に辿り着くのは至難の技というのが、当時の状態でした。困っていたのは、父だけではないはず。それに飲食店側も、取引先となる業者の選択肢が増えれば、よりよい商品を提供することができる。
飲食業は人がなんでも手仕事で行っていて、非効率さを感じていたのも事実だったので、そこにテクノロジーの力を使えば、世の中にこれまでなかった価値をもたらせるのではないか。そうして、蒲田のマンションの一室からはじまったのが、シンクロ・フードです。以来、さまざまなサービスを展開してきましたが、苦しいときも「自分たちがやっていることは、果たして飲食業の役に立ってるのだろうか」という判断軸で、理念に反することはこれまで一度だってやってこなかった自信があります。どんなにニーズが多様化し、どんなに会社が大きくなろうと、そのことだけは、これからも変えてはいけないものだと思います。
藤代 真一
サービスをつくってきた歩み
まだ足りていないものを、なんでもつくる。
その一心で歩んできた、シンクロ・フードの沿革です。